解体で出土した「風呂桶」その弐

解体で出土した「風呂桶」その弐

先日、志都呂八幡宮の社務所が解体された際、ひとつの「風呂桶」が見つかりました。

神社に伝わる噂では、「昔、浦安の舞を舞う女性たちが身を清めるために使っていた」とのこと。

神聖な儀式の歴史を物語る遺物なのか?
その真相を確かめるため、当時踊りを指導されていたと思われる故・鈴木ひでさんのお宅を訪ねました。

昭和40年代の真実:お風呂で身を清めていた?

お話を伺ったのは、ひでさんの娘さんである鈴木紀江さん鈴木幸子(ゆきこ)さんです。
実は紀江さんご自身も、当時「浦安の舞」を舞った経験があるという当事者!

さっそく風呂桶について尋ねてみると、意外な答えが返ってきました。

「昭和40年ごろには、お風呂で身を清めるような儀式めいたものはなかったですよ」

身を清める儀式用ではなかったとすれば、あの風呂桶は「祭礼の準備や、お籠(こ)もり」という現実的な役割だったのか、浦安の舞が始まった当初には実際に使われていたのか?今となっては謎だらけです。

判明した当時の指導体制

お話を伺うとと、当時の志都呂八幡宮における踊りの伝承体制も明らかになりました。お母さまのひでさんは、子供たちの「手踊り」を指導していて、浦安の舞にはかかわっていなかったとのことです。浦安の舞の指導は青年会の女性たちが代々受け継いで後輩たちへ指導していとのことでした。

写真  左 鈴木幸子さん  右:鈴木紀江さん

一枚の写真が教えてくれた、不思議な巡り合わせ

今回の取材では、当時の様子を伝える大変貴重な集合写真も見せていただきました。
紀江さんの代とは別の写真ですが、本殿の前で、当時の宮総代の皆さんと、浦安の舞を伝承していた青年会の女性たちが一列に並んで写っている記念写真です。

地域の大切な伝統を生き生きと守り、次の世代へと繋いでいた熱気が、色褪せない写真から伝わってきます。

空間を超えて、その写真をじっと見つめていた時、信じられない驚きがありました。

──なんと、その宮総代の中に、大好きだった私の祖父の姿があったのです。

現在、私は祖父と同じように、この志都呂八幡宮の宮総代を務めさせていただいています。

解体された社務所から出てきたひとつの風呂桶。
その真相を追い求めてたどり着いた古い写真の中で、まさか時を超えて祖父に出会うことができるとは夢にも思いませんでした。

「地域の氏神様を支える」という役目が、時代を超えて、今こうして自分に受け継がれている──。
風呂桶が導いてくれたこの不思議な巡り合わせに、深いご縁と、宮総代としての責任の重さを改めて噛み締めています。

歴史の真実、そして私にとって一生の宝物となる気づきをくださった鈴木紀江様、鈴木幸子様、本当にありがとうございました。

みなさまからの情報・コメントをお待ちしています!

この記事をご覧の方で、「当時のお祭りを知っている」「懐かしい思い出がある」という方からのコメントをお待ちしています。

また、志都呂八幡宮の歴史と言い伝えを後世へ正しく伝えていくため、以下の情報を探しております。

  • 当時の様子がわかる写真や資料
  • 「浦安の舞」で使われていた当時の衣装、扇、鈴などの行方
  • 「浦安の舞」がどのような経緯で終わってしまったのか、当時の背景や理由

「実家の片付けで見かけた」「当時のことで覚えていることがある」など、どんなに小さなことでも構いません。もしお分かりになる方、あるいは資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ宮総代までお知らせいただけますと幸いです。

地域の貴重な歴史を遺すため、みなさまのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。